Improvisational Days

さすらいの英語講師Joeによる気まぐれ日記。本業の話のほか、音楽の話もあり。政治・宗教の話はなし。

拾うよりもむしろ、捨てる

以前、とあるミュージシャンに言われた言葉がふと思い出される。

 

「お前がどんなスタイルのプレイヤーなのかはわからないけど、新しい要素を取り入れるよりも、自分のスタイルを一貫させるほうが成功しやすいんだよ。」

 

その時は一演奏者として胸に刻んだその言葉が、今は、教師としての自分にも向けられているのがわかる。つまり、フォーカスすること:不要なものを捨象することが重要だと実感しているのだ。

 

教師の数だけ、教授法、教育哲学、授業スタイルがあると言っても過言ではない。もちろん私には私なりのスタイルがあるのであって、それが自らのアイデンティティにもなっている。ところが昔は、自分に足らないものばかりが目の前をちらついて、あれもこれも要素として取り入れなくてはと、常に焦っていた。一丁前にトレンドなんかも読もうとしたり、同業者の技術を盗もうとしたり、とかく躍起になっていた。思えば当時は、誰にも負けたくない、という想いが非常に強かったが、それは、他の教師ができることなら自分もできるようにならなくてはという劣等感からくる悲鳴の如き掛け声だったのだ。

 

それが今では、真逆の境地に達しつつある。すなわち、他人が既にできている・実践していることを、今さら私がやるまでもない、という開き直りにも似た態度である。もちろん、教師として、誰にとっても必要不可欠な要素というのはある。だが、そういった要素は限られているし、何より、コピーは所詮コピーに過ぎないのであり、オリジナルを超えることなどありえないのである。願わくは、過去の自分に問いたい。勝ち目のない勝負を一方的に挑み、当然のように敗北を喫し、自信を喪失していくことに、一体いかほどの意味があるのか、と。

 

経営に関して、このような名言がある。

 

”戦略とは何をやらないかを決めることである”

(マイケル・ポーター 米ハーバード大学教授)

 

至極もっともである。それこそが冒頭に述べた「フォーカス」の意味するところである。私はフリーランスとして、競合のやっていることはやらない。その代わり、自らのスタイルを掘り下げ、さらに磨きをかけていくのだ。語弊を承知の上で言うが、だから今では、同業者がどのような仕事をしているかについて、ほとんど興味がない。少なくとも、嫉妬混じりの羨望という枷からはすっかり解き放たれている。断言するが、本当に自分のスタイルに向き合おうという真摯かつ謙虚な気持ちがあるのなら、他人の真似などにかまけている暇は皆無である(ただし、研修等の情報交換の機会は必要だ。他人の意見を聞かなくてよいとまでは言わない)。他人の要素は、あくまで「参考」にするものであって、それに自分の軸が支配されるようでは本末転倒である。

 

時折教え子に言うのだが、入試が選抜試験である以上、周りの受験生と同じことをやっていたのでは合格できるはずがない。受験生でなくとも同じだ。ビジネスとして成果を上げたいのなら、一般の同業者と同じことをやっていては、競争に勝つことはかなわない。むしろ、競合のやっていないことを自らの武器として顧客にアプローチするのでなければ、成功を収めることはおろか、生き残ることさえままならないだろう。

 

だから今日も、自分のスタイルをさらに深めるために思索の旅に出る。そこには誰もいない。あくまで私の一人旅である。